作文 無縁血縁③

そんな事を思い出してしまったが

気を取り直して「着替えてから手伝うわね。」と自分の部屋に上がって行った。

父さんが亡くなってから何かが変だ。事故かそれとも誰かに殺害されたのかの疑問がある事もあるのだが。

洋子は自分がその亡くなった父や妙子の養子である事は大学受験の時の取り寄せた戸籍謄本で知っていた。高校入学の時は公男が上手く隠したものらしい。

だがそんな事をおクビにも出さず晃生と分け隔てなく何不自由無く育てて貰った。どうして養子になったのか、洋子は知らない。そして自分の名前がひろこでは無く本当はようこである事も全く知らない事であった。物心付いた頃からひろこであったのだ。山形から東京に公男は仕事を辞めてまでして移り住んでいる。

もしかしたらそれらは私が養子である事が関係しているのでは無いだろうか。ふとそんな疑念を少し前から抱いていた。

ジャージに着替えて洋子は階段を降りて行った。

口には出さないが公男の死で落ち込まないはずも無いのに妙子が気丈に振舞っている事等は二十六歳とも成れば感じ取れる。だから敢えて明るく妙子と接していた。食器を並べながら言った。「母さん。夏のボーナス出たらね北の方へ旅行しない?」

妙子はビクッとして「北って?」と言った。

「暑い季節になるから、そうね長野の安曇野辺りは駄目?」妙子は洋子の顔を見て「其れは良いかもね。でも.......。贅沢よ。」と言う。妙子の顔は明るくなった。

「贅沢では無いわ。晃生も大学最後の年だし。記念に家族でね。父さんの写真も持ってさ、ね、どう?」

「洋子や晃生に生活費助けて貰ってるだけで母さん充分なの。これ以上は望まないわ。」と応えた。

「つまらない事をおっしゃいますね。母さんは相変わらず。」とおどけてみせた。妙子は思わず笑顔を浮かべて「その通りですわよ。」と、言ってのけた。その時リビングのドアーがいきなり開くとそこに晃生が変な顔をして立っていた。「あら、お帰り、なぁにただいまも言わないで。」晃生は「母さん、ほらこの間知らない男から睨まれたって話したでしょ?」妙子は晃生の顔を見て「それがどうしたの。」と聞き返した。

「その男だ、絶対。」

「その人が何だと言うの?」今度は洋子が聞いた。

「今家の前に居て、僕をじっと睨み付けるんだ。」

妙子は狼狽えた。

「それでその男は?」と声が上擦る。「睨み返してやったら駅の方へ行っちゃったよ。変な奴だ。」

「どんな人よ?」気になって聞いてみた。

「がっしりとした大柄の50歳位の男で、あ、左目の下に小さな黒いホクロが有ったな。」妙子はそれを聞いて玄関に飛んで行った。「母さんもう居ないよ。俺、明日午前中暇だからほら、あの駅前の交番に行ってみるわ。」

リビングに戻った妙子は急に静かになって其れは食事中続いたのである。

晃生は次の日交番に相談しに行った。「しかし、なんだよね。君が女の子なら付け狙うのも分かるけど。ま、巡回増やしてみるね。」とその巡査は言ったらしい。その程度の事だと判断したのだろう。

その次の日は日曜日だった。

妙子は珍しく外出をして半日位帰らなかった。普段は買い物くらいしか出ないので洋子は少し気になっていた。

その夜食事が終わりお茶を飲んでいる時だった。

「二人に母さんから話が有るの。」

洋子と晃生は同時に何?と聞いていた。

「あのね。お父さんの保険金ね。二人に取っておこうと思って居たのだけど。」

「晃生もいずれお嫁さん貰うでしょ。」

晃生は照れた。

「馬鹿ね、今じゃないわよ。」と洋子が茶化すと

「真剣に聞いて。」と妙子が言う。

二人は神妙になった。

「この団地にいつまでも居るのは何だと思って前からマンションを探してたの。」思わぬ妙子の言葉だ。

「ほら、武蔵野市なら、洋子も働き場所に近くなるし、晃生も勤め先見つけるのもあの街ならと思って、今日決めて来たのよ。」「えっ」二人は声を揃えた。「何でよ。ここで充分じゃない。」洋子が言うと。

「実はね母さん吉祥寺が好きなのよ。親孝行だと思って越すの許して。」と言う。洋子は感が良い。

これはこの間から起きてる不穏な事と関係してるのでは無いか。もしかして私が養子である事も。と思った。其れに付けても思い詰めた様子の妙子にこれ以上の反対は二人とも出来なかった。その日から間もなくして武蔵野市の公会堂近くのマンションに移り住んだのである。

    洋子は署に歩いても通える位の所で通勤も楽になった。諸手続きも諸々総務課に提出してまたこれで穏やかな毎日が始まると信じたかった。

晃生はアルバイト先も大学も近くなってそれなりにやはりマンション購入は嬉しい事で、生活をエンジョイしているようだ。其れにあれ以来あの男は現れてないみたいである。

   その引越しからまだ幾日も経ってない日だった。ついこの間まで住んでいた曙団地の一室が日曜日の夜中何者かに火炎瓶の様な物を投げ入れられて焼けた。幸いその部屋だけで済んだのが奇跡の様だったと朝のニュースで顔見知りの団地に住む人がインタビューされていた。,,国立市曙三丁目二の六   その団地の三号棟三○三号室から昨夜一時半頃発火しその部屋は全焼しました。空き家となっており怪我人は有りませんでしたが遅く帰宅した住人の怪しい人影を見たとの情報も有り、消防と警察はその男が火炎瓶等を投げ込んで放火したとみて捜査中です。,,

朝七時のニュースだった。

妙子は震えが止まらない。洋子も晃生も其れに釘付けとなって居る。

紛れもなく其れは洋子達が永年住んだ部屋に間違いなかった。何者かに火炎瓶を投げ入れられた、その言葉が妙子の頭の中を駆け巡っている。自分達が狙われての放火に違いないも思われて怖かったからだ。

もう、ダメだ洋子の課長に相談しに行こう、そう決めた瞬間である。

それにしてもあの男は執念深い。恐ろしい男だ。しかしあの時哲郎は本当に捕まったのだろうか。日本の警察は甘くないもの。絶対に捕まったのだろう。新聞にも報道もされてたし、もしかして出所してから探し当てたのだろうか。

うちの人もあの人が突き落としたのでは無いのか。

妙子はそんな事を思っていてほんとに震えがが止まらなかった。洋子や晃生に話さなければ、あの子達に危害が有るとすれば注意をしなければならない。

そうだ2人に話そう。そう漸く決心が着いた。「お母さんどうしたの?そんな怖い顔して。」心配して洋子が声をかけた。「二人とも今夜は早く帰れる?」「話があるの。」

晃生はこの放火のせいだと直感した。其れに二度も変な奴に睨まれたのを考えて、

「アルバイト休んで早くに帰るね。」と妙子に言った。

「私は何も起こらなければ定時に上がれると思うわ。」

妙子は二人の顔を見て「お願いね。」と付け足した。

   署まで歩いても直ぐなのだが洋子は自転車を利用する事にした。歩いて通うと隙が出来る。自転車なら回避出来る事も多いからだ。だから直ぐに署に着いた。自転車を止めながらふと思った。母さんは私の養子の事を話すのかも知れない。そこに一体何があるのだろう。晃生は確かに変な男と会ってるけど、私には接触何もして来ないしな。と頭の中でそんな思いがかけめぐる。昨日の放火の事も一応課長の耳に入れて置く事にしていた。明らかに我が家に何かが起きていると確信したからである。生活安全課に入ると課長が洋子の所に飛んで来た。そして応接室に招くと。「国立の放火って前滝沢さんの住んでた部屋だろ?」と開口一番に聞いてきた。洋子は「そうなんです。」と応えた。

「これは何らかの事で恨まれたり妬まれたりしてる者が居ると考えた方が良いね。」と言う。

「そう思います。2年前父が亡くなった事か、私の事が有るのかも知れないんです。今日、私の方から課長にお話しするつもりで居ました。」課長は顔を曇らせて「そうか、気をつけた方が良いね。」「有難う御座います。今夜母から話があるそうなんです。多分私の事だと思います。」課長は不思議に思ったらしい。「滝沢さんの事?」洋子は意を決して自分は養子である事を話したのである。「知っては居たよ。」「本人がその事を知らないのであればと思い聞かないでいたんだが。」課長の思いやりに洋子は改めて頭が下がる思いがした。

「暫くの間、身辺を注意しておいた方が良いね。私もそれと無く気をつけて見てるから。」と言う。

「はい、ご心配おかけします。」洋子は課長の配慮が嬉しかった。少し心が軽くなったような気がした。

生活安全課の一日の仕事を卒無く粉して洋子は母の待つ我が家へ帰宅したのである。晃生は既にお風呂に入っていた。台所では妙子がコロッケを揚げている。テーブルにはもう切り干し大根の煮付けやワカメの酢の物等が出ており、いつもながらの母の手料理に急にお腹が空いてきた。

「も少し待ってね。晃生もあがってくるでしょうから。」と妙子が声を掛けて来た。「うん、着替えて来るわ。」洋子が言うと「もう階段が無いから楽でしょ?」と言う。国立の団地にはエレベーターが設置されて無く三階とは言え疲れて帰宅した時など階段はそれなりにきつかったのである

洋子は「ほんとよ。」と笑いながら応えた。

でも胸の内では妙子が今夜話す内容が気になってどうしようも無い。自分の幼い時の事は全く覚えては居なく、物心か着いた時には既に滝沢の両親に大事にされていたのである。その頃にはホントの両親では無いなんて疑っても無い事で、今夜一体どんな話を聞くのか不安であった。

    妙子のコロッケは絶品である。

公男も良く頼んで居たのを思い出す。胸の奥でその父の亡くなった現実が悲しくなる。お父さんコロッケ好きだったとは誰も口には出さないけど妙子も晃生も思い出して居るのだろう。この家族に公男の居ない生活が普通になるのにはもっと時が必要なのである。

親子三人の食事を終え洋子が珈琲を入れた。

「今朝言った話なのだけど。」妙子は切り出した。「もしかしたら洋子は知って居るのかも知れないね。」

「私が養子だと言う事?」妙子は洋子の顔をまじまじの見て、「やっぱり。」と言った。

聞いていた晃生が「姉さんが養子?」と驚いた様に言うと

「そうなの。でも母さんは勿論父さんだって洋子の事を養子だなんて一度も思った事なんて無いの。」

「私だってそうよ。父さんや母さんに甘えて生きてきたわ。」妙子は嬉しそうに微笑むと「洋子、あなたは本当はようこって名前なの。」洋子は驚いた。何故なのか?「な、何で。?」と自然に言葉が出ていた。

「実はまだ山形にいた頃ね。隣に木村さんと言うお宅が在って。」「洋子、あなたはその木村さんの子供だったの。」洋子は黙って聞いていた。「何時もあなたのお父さん、哲郎さんは洋子を連れたお母さんと再婚したの。だけれど、連れ子のあなたを虐待してて、」虐待!洋子は胸が張り裂けると思うくらいその言葉に驚いた。「ある朝見兼ねて家に連れてきてね。警察に相談したの。あなたは児童相談所に一時預かって貰ってね。その日、あなたのお母さん、お父さんと揉めてね。.......」言葉に詰まってしまった。流石に辛い事を言わなければならない。「それでどうしたの?」洋子は堪らなくなって聞いた。「うん、あなたのお父さん織江さん、あなたのお母さんの事よ。殺して逃げたの。その時その現場に生まれたばかりの男の子が居てね。洋子の弟何だけど、それが晃生なの。」それには晃生も驚いた。「な、なんだよ。いきなりそんな話!」と狼狽えた様子だった。無理も無い。「大人しく聞いて。」と妙子は狼狽する晃生を制すると続けた。

「警察が行方を探したのだけど暫くは逃げて哲郎さんは捕まらなかったの。」「私は洋子ちゃんが可哀想で、お父さんと相談して児童相談所から引き取って来たの。」洋子は息を呑んだ。晃生が実の弟?実の母親を養父に殺された?にわかに妙子の話すことが信じられない。

「それから哲郎さんの仕返しが怖くて、父さん会社で何か問題もあったらしくてね仕事を退職して東京へ出て来たのよ。」「暫くして哲郎さん逃亡先の大阪で捕まったの。」と言いながら古い新聞を出して来た。その哲郎の記事が掲載されていた。そこに父親が捜査員に確保され新潟の寺泊署に連行される報道写真があった。上着を頭から被り俯いていてその顔はハッキリとは分からない。それでもガタイの良い事だけはわかる。晃生も尚更マジマジと見つめた。気持ちは混乱していたが晃生にとっては実父であるということなのだ。

「それから一年半もたってそこでやっと二人とも正式な養子縁組が認められうちの子になったの。」「刑は懲役6年、でも早くに保釈される事もあってね。今では絶対に出所してるだろうし、逮捕されたのにも疑心暗鬼に思っていたしね。いつかあなた達を取り返しに来るのではと怯えて暮らしていたのよ。」

そんな事は日頃から洋子は感じた事は1度もなくて聞いてもにわかに信じられない。「引き取った頃、あなたには虐待の爪痕がいっぱいあって。食事もろくにね。」「お母さん。私今ショックで。」と洋子が言うと「そうだよね。両親の事、晃生の事。それにこんな酷いこと聞いたのだもの当たり前よね。」と妙子は肩を落とした。「母さん、私は二人とも養子だなんてちっとも知らずに大学生なる迄。それからもお母さんやお父さんの子供でいた事を感謝してたの。私がショックを受けたのは、その養父から虐待を受けていた事なの。それ以外何も無い。」事実の事だった。養子に出された経緯を知らずにいた洋子にとって虐待した養父もそれを容認していた弱い母の事もそして殺された事もそんな事はどうでも良かった。ただ虐待されていた事を初めて知って今の両親が助けてくれた事実にショックを受けていたのである。

「もしかして、父さんの事故死、関係有るのかな、俺を付け狙った男はもしかして、あ、あの放火も。」

と晃生が言った。「それは分からないわ。国立に越したのも行政が隠してくれて探しようがないと思って居たのだけど。執念深くて粗暴な人だからこの所の事は私もそうじゃないかと恐ろしくなってね。」洋子は情けなかった。自分の両親がそんな人達である事が恨めしい。だが今まで二人は愛情をいっぱい受けて育って来た。妙子が母親である事に決して変わりない。

そしてもしかしたらその養父が大切なお父さんを殺害したのかも知れなく。其れには言い様もない思いがしていた。しかし今何とかしなければならない。その男が執拗に嫌がらせをして居るとするならば大切な家族にこれ以上の危害は避けなければならない。どうしようもない現実に初めて恐ろしさを感じたのである。洋子は公男の仏壇の前に座りじっと公男の写真を見つめていた。・もしかしてお父さん、私のお父さんに殺害されたのかも知れなくてごめんなさい・そう心で話していると済まなくて涙が頬を伝わっている。ふと我にかえると晃生が隣に並んですわっていた。「大丈夫、姉さん、俺、今混乱してるけど俺が守るよ。姉さんの事も母さんの事もね。」それを聞いて妙子も涙を流した。「母さん、私母さんの事大好きよ。私はずっとお母さんのこども。これからもね。ありがとう、今までの事。」「本当に有難うしかないわ。助けて貰って、育てて貰って。」洋子の涙は後から後から流れてくる。

初めて洋子に食事させた時の妙子を見つめて泣いたあの時の洋子の涙を今また見ている様な妙子はそんな思いがしていたのである。

「取り敢えず、明日課長とまた相談するわね。そして正式に要望書提出しておくわ。」と涙を拭いながら洋子は取り分け明るく言った。🍎